何のために働くか

旅人が、ある村の建築現場に通りかかりました。ハンマーを振り下ろして、石を四角に割ろうとしている職人に恐る恐る声かけました。「今、何しているのですか?」ハンマーを振り下ろしている手を止めて、ぶっきらぼうに答えました。「見りゃわかるだろ。この忌々しい石を割っているのさ。家には妻と3人の子供がいて、食べさせていかなけりゃならないんだ。」旅人は石を削っている別の職人に声をかけました。「今、何しているのですか?」振り返りざまに額の汗を拭いなら答えました。「この壁にこの石がピッタリはまるように削っているのさ。私は、この村で一番の腕利き職人になれるよう頑張っているんだ。」旅人は石を運んでいる別の職人に声かけました。「今、何しているのですか?」その職人は、完成しつつある建物の尖塔の先を見上げながら、顔を輝かせて答えました。「村の人々の心のやすらぎの場となれるような、立派な教会を造っているのです。」
少し、モディファイしているが、この話の原型はマネジメントの泰斗、ドラッカーの書いたものの中にある。どの職人も一生懸命働いていることには変わりないが、その仕事の先に何を見つめているのかが異なる。その仕事の彼方に何を見つめているのか。それが、「仕事の価値」を定めるのだ。(参考文献:これから働き方はどう変わるのか;田坂広志 ダイアモンド社)
コーチング
「コーチ」というと、すぐ頭に浮かぶのはスポーツにおけるコーチだ。日本のプロ野球では、かつての名選手が、引退後球団に請われてコーチとして活躍しているのをテレビで目にする。ここで、コーチに求められる役割とは、自分が試行錯誤し獲得した技術をより短期間で、対象とする選手に伝授することだと思われる。
マネジメントにおけるコーチングはこれらとは若干異なる。マネジメントにおけるコーチングにおいては、コーチは、必ずしもその領域の技術に習熟している必要はない。コーチングを受けようとする人の中に眠っている意欲を、見える化し、その方向性を共有し、そのためにこれからどうすべきかを確認する作業なのである。このプロセスはどのような領域でも同様なので、コーチは必ずしもその領域の習熟者ではなくてもよいのである。
生物と無生物のあいだ

生命とは何か。それを上手く言葉にはできなくても、誰もが、自分の体験に基づいて、漠然としたイメージを持っていることと思います。ここに紹介する本は、あなたが持っている生命のイメージを根底から揺さぶってくれるのではないでしょうか。
いのちが生物に宿るものだとすれば、生物の生物たる所以について徹底的に知ることが、いのちの本質に迫る近道のように思えます。しかし、これはなかなか簡単なことではありません。実はこのような場合、無生物とは何かを定義することによって、生物の本質を簡単に言い表すことができるのです。無生物とはAであると言えるならば、生物とは非Aであると言えるのです。無生物の本質について知ることが、生物の本質ついて知ることになるのです。しかし実際には、生物とするべきなのか、無生物とするべきか悩ましいものがあるようなのです。実は、このもやもやした狭間にこそ、いのちの本質に関わるヒントが隠されているのです。
著者は、野口英世のアメリカ留学時代の話から、細菌、ウィルス、プリオンと生物を構成する微小な単位に生物の話を進めていきます。そしてワトソンとクリックの遺伝子の発見の裏側を興味深く語り、さらに細かい世界である、分子、原子レベルに話題を進めます。最後にアインシュタインと双璧をなす20世紀初頭の天才物理学者シュレーディンガーの以下のような言葉を引用し、この本の前半部を終了します。「遺伝子の本体はおそらく非周期性結晶ではないか」「なぜ原子はそんな小さいのか?」
後半はこの本のテーマでもある「生命とは動的平衡にある流れである」を美しくまとめた部分と、著者自身の細胞膜蛋白に関わる研究成果をドラマチックにまとめた部分で構成されています。科学ものであるにかかわらず、スリリングな小説を読んだような読後感が残る本です。
赤レンジャーのポリシー

雨の日に、自転車で訪問しなければならない時があるが、いかに颯爽とお宅の玄関に立てるかということを、いつも考えている。眼鏡に雨滴をつけ、前髪を濡らし、制服はヨレヨレ、いかにも雨の中頑張って来ましたというような格好をさらしたくはない。これから、とっておきの診察をしようとしているのに、最初に気の毒がられていては話にならない。
そうならないためには、雨の日の自転車による訪問をファッションとして自分の掌中に納めることが大事だ。
× 鞄を45Lのビニルのゴミ袋に入れる
× サイズの合わない、丈の高い長靴を履く
◯ タオルは2つ持つ。一つはレインコートの右のポケット、もう一つは鞄の中。
◯ 自転車の鍵は、自転車を止めたら真っ先に左のポケットに。絶対にタオルの同じポケットに入れない
◎ 顔の雨よけにサンバイザーを使う
そう、サンバイザーは最高! 水滴が顔にかからないので、雨から自分が守られている感が強くなる。視野がかなり狭くなるんじゃ? と思うかもしれないが、決してそんなことない。フードをサンバイザーのどの辺りまで被うかも重要。サンバイザーを装着し、フードをいい位置にかぶってから、レインコートのチャックを閉めるとサンバイザーをいい位置に固定できる。
今年の春初めてサンバイザーを買った。買ったばかりのサンバイザーには傷防止のためフィルムが貼られているのだが、それを知らなくて、フィルを剥がさずに使っていて、どうも前が見にくいな、買って損したなとしばらく思っていた。途中で気がついたて、「そうか!」と思いながら意気揚々と剥がして、装着したが、まだ何となく見にくい。その後しばらくして、裏にも傷防止のフィルムが貼ってあるのに気がついた。全ての問題が解決したときには、雨なのに、気分は最高だった。
2つのC

他人に物事を伝えるのは、なかなか難しい。先日、経営のコンセプトについて話す機会があり、その中で、経営の基本単位である「コンタクト;Contact」の概念について、分かりやすく伝えたつもりであった。しかし、数日後に「私が考えている経営の基本単位って何でしたっけ?」と質問してみて、十分には伝わっていないということが分かった。。何故、伝わらなかったのか? たぶん、それは大多数の人が、「経営とは何か?」ということについて普段から考える機会がなく、それに関する話題を吸収する下地がなかったからだと思う。経営のコンセプトの話しをする1週間くらい前に「あなたが経営責任者になったとしたら、何を指標に経営を考えますか?」というようなアンケート調査を実施していれば、伝わる率が変わっていたかもしれない。
最近、電話連絡の不備をクライアントから指摘されるケースが続いた。チームを作り、不備を改善すべく、クライアントとの「コミュニケーション;Communication」について根本的なところから考え直しているところである。「我々が連絡を取り合う相手とは誰なのか」「連絡する、あるいは連絡されれる内容はどのようなカテゴリに分かれるか」「いつ連絡するのか(日中、夜間、休日)」「連絡手段として何が使えるのか(電話、留守録、FAX、電子メールなど)」 根本から考え直してみると、電話連絡の不備は電話応対した個人にあるのではなく、時間帯に応じた、あるいは連絡内容に応じた適切なコミュニケーション媒体を我々とクライアントの間で共有していなかったということが最大の問題であるということが分かった。ものには固有振動数というものがあって、二つの物体の固有振動数が整数倍の関係にあるとよく共鳴する。コミュニケーションとは何を伝えるかということに意識が向きがちだが、実はコミュニケートするもの同士の持つ下地(固有振動数)をそろえておくということにも注意を払わなければならない。
「Contact」を増幅させるためには「Communication」を強化しなければならない。


